イベタ・ベネソバ(Iveta Benešová, チェコ語発音: [ˈɪvɛta ˈbɛnɛʃovaː] ,1983年2月1日 - )は、チェコ・モスト出身の女子プロテニス選手。2011年のウィンブルドン混合ダブルスでユルゲン・メルツァーとペアを組んで優勝した。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス14勝を挙げた。身長170cm、体重56kg、左利き。バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス25位、ダブルス17位。
来歴
ベネソバは7歳からテニスを始め、1998年にプロに転向。2002年全仏オープンで予選を勝ち上がり4大大会に初出場した。
2004年3月のアカプルコ大会の決勝でフラビア・ペンネッタを 7–6(5), 6–4 で破りツアー初優勝を果たす。8月のアテネ五輪にも出場し、1回戦で森上亜希子に 1-6, 4-6 で敗れている。
ベネソバは2006年全豪オープン2回戦で第5シードのマリー・ピエルスを 6-3, 7-5 で破り初めて4大大会で3回戦に進出し、3回戦では現役復帰したばかりのマルチナ・ヒンギスに 4-6, 1-6 で敗れた。
2度目のオリンピック出場となった2008年北京五輪では、シングルスは2回戦でビーナス・ウィリアムズに 1-6, 4-6 、ニコル・バイディソバと組んだダブルスは1回戦で優勝したビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹に 6-4, 5-7, 1-6 で敗れている。
2010年5月のフェズ大会でシモナ・ハレプを 6–4, 6–2 で破り6年ぶりのシングルス優勝となるツアー2勝目を挙げた。9月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントではバルボラ・ザフラボバ・ストリコバと組んだダブルスで決勝に進出し、シャハー・ピアー&彭帥組を 6–4, 4–6, [10–8] で破り優勝した。東レでは2005年大会と2009年大会のシングルスでベスト8に進出しており、好成績が多い。
2011年全豪オープン3回戦で第16シードのアナスタシア・パブリュチェンコワを 6-3, 1-6, 7-5 で破り4大大会初の4回戦に進出した。4回戦では第3シードのベラ・ズボナレワに 4-6, 1-6 で敗れた。ウィンブルドンではユルゲン・メルツァーと組んだ混合ダブルスで決勝に進出し、マヘシュ・ブパシ&エレーナ・ベスニナ組に 6–3, 6–2 で勝利して初優勝を果たした。この大会では女子シングスでペトラ・クビトバ、女子ダブルスではクベタ・ペシュケがカタリナ・スレボトニクと組んで初優勝し、チェコ選手が3冠を達成した。
2012年全豪オープンでも2年連続の4回戦に進出した。4回戦では優勝した第3シードのビクトリア・アザレンカに 1-6, 3-6 で敗れベスト8進出を逃した。
2012年全米オープンを最後に肩の故障のため公式試合から遠ざかっていたが、2014年2月のアビエルト・メキシコ・テルセルで復帰した。ペトラ・チェトコフスカとのダブルスで準優勝した。しかしシングルスでは勝利を挙げることが出来ず、2014年全仏オープンが最後の出場となった。2014年8月に現役引退を発表した。
私生活
ベネソバは2012年9月14日に2011年ウィンブルドン選手権混合ダブルス優勝パートナーのユルゲン・メルツァーと結婚し、イベタ・メルツァーと名乗るようになった。
しかし2015年に正式に離婚を発表。旧姓のベネソバに現在は戻している。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 8回 (2勝6敗)
ダブルス: 26回 (14勝12敗)
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
脚注
外部リンク
- イベタ・ベネソバ - WTAツアーのプロフィール (英語)
- イベタ・ベネソバ - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール (英語)
- イベタ・ベネソバ - 国際テニス連盟
- イベタ・ベネソバ (@IvetaBenesova) - X(旧Twitter)




