延徳村(えんとくむら)は、長野県下高井郡にあった村。現在の中野市中心部の南西、長野電鉄長野線沿線にあたる。

歴史

村名の由来

延徳年間頃に遠洞湖を干拓し、耕地化した「延徳田圃」から。低地にあるため水害に遭いやすく、明治時代に救済策として杞柳(行李)の生産を奨励。豊岡杞柳細工で知られる兵庫県豊岡町(現・豊岡市)とは、大正から昭和にかけて杞柳細工の指導を仰いだり、神社を勧請して建立するなどの交流があった。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、三ツ和村・桜沢村・篠井村・新保村の区域をもって発足。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 中野町・日野村・平野村・長丘村・平岡村・高丘村・科野村・倭村と合併して中野市が発足。同日延徳村廃止。

行政

村長、助役、収入役は以下の通りである。

村長

  • 酒井鶴之助 1889年5月 - 1891年12月
  • 小林常松 1891年1月 - 1893年9月
  • 青木彦兵衛 1893年9月 - 1904年5月
  • 郷道半治 1904年7月 - 1905年3月
  • 郷道半治 1908年2月 - 1912年1月
  • 藤牧林右衛門 1912年2月 - 1916年1月
  • 金子大治郎
  • 柴本千代太
  • 宮崎準治郎
  • 酒井鶴之助
  • 小林常松
  • 郷道義太郎

助役

  • 山崎庄助 1889年5月 - 1891年3月
  • 久保田庄兵衛 1891年3月 - 1898年7月
  • 小林常松 1898年7月 - 1901年1月
  • 黒崎啓治 1901年3月 - 1905年3月
  • 酒井實之助 1909年4月 - 1912年12月
  • 柴本熊太郎 1912年3月 - 1913年3月
  • 柴本八作 1913年4月 -

収入役

  • 藤牧林右衛門 1889年5月 - 1893年3月
  • 西澤光太郎 1893年4月 - 1894年5月
  • 柴本禧之助 1894年6月 - 1897年6月
  • 佐藤九内 1897年6月 - 1898年6月
  • 久保田庄兵衛 1898年7月 - 1901年4月
  • 酒井實之助 1901年4月 - 1909年3月
  • 小林彦太 1909年4月 - 1913年3月
  • 西山芳松 1913年4月 -

経済

産業

金融機関
  • 延徳銀行

人口

1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数440、人口2200。

出身人物

  • 青木賢一郎(長野県会議員)
  • 青木太郎(中野市長)

交通

鉄道路線

  • 長野電鉄
    • 河東線(現・長野線)
      • 桜沢駅 - 延徳駅

脚注

参考文献

  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1893 - 1911年。
  • 『職員録 明治29年 乙』印刷局、1896年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 文竜館編『長野県市町村提要』文竜館ほか、1918年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
  • 『角川日本地名大辞典 20 長野県』。

関連項目

  • 長野県の廃止市町村一覧
  • 頓所式1型 - 当村で飛行した日本初の国産ハンググライダー

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